◆ 取材・撮影を終えて ◆
とある仕事の関係で、一昨日まで東北地方に取材・撮影に行って参りました。その中でも、印象的だったのは、東日本大震災遺構である「石巻市立大川小学校」と「旧女川交番」でした。
詳しいそれぞれの施設に関しては、ここでは割愛をさせて頂きますが、たくさんの方がそこで被害にあったという場所に行くと、一言で言えば「言葉にならない」というのが正直な気持ちでした。
児童74人と教職員10人がお亡くなりになった大川小学校では、がれきの校舎、崩れ落ちた鉄骨、剥がれ落ちた黒板、体育倉庫のような中には「二年」と書かれてプラカードなどがおそらく当時のまま保存されていました。
雨が降っていたため、私たち以外ほとんど人が居なかったため静かなその場に立ちすくみ、横を見ると、
石碑には、こんなメッセージが書いてありました。
「ここには町がありました
生活がありました
いのちがありました
子どもたちが走り回っていました」
思わず、その場所を走り回っていた児童を想像しました。
また、鉄筋コンクリート造の建物が津波で転倒したはじめての事例でもある旧女川交番には、3月11日から現在に至るまでの復興の道のりが時系列で展示されており、その中には、悲しみだけではない将来の人たちへ向けたメッセージがありました。
「将来の人々にとって当たり前の姿はいつ失われるかわからないこと
そして、失われたとしても、それを取り戻すために
皆で立ち上がらなければならないこと
壊滅した郷土に生を灯す人の歩み 絶望から希望を紡ぎだすこと
郷土に生きる私たちの想い 郷土の人々の生きる強さ
決してあきらめないこと 何があっても負けるな」
震災から11年と5カ月。現地では、まだまだ道路や防潮堤などの復興の工事をしていました。
様々な場所を訪れ、様々な人に出会いましたが、おそらく受け止め方は人それぞれ違うと思いますし、それで良いと思います。遺構は見る人に訴えるものはありますが、考えを押し付けるものではありませんでした。
取材・撮影を経て、私個人が感じたことは、「自然災害の恐ろしさと共に、そこから立ち上がる人の強さ」でした。また、得た教訓は「『知っていると思っていること』は、『現地で見ること、経験すること』に比べれば微々たるものであること」であり、今後は「『自分が知っていると思っていること』に疑問を持っていきたい」と感じました。
※写真は、現地にて撮影した「東日本大震災遺構 大川小学校」のものです(許可を得て撮影しております)