◆ 自分を正しく知ることが成長の第一歩 ◆
自分の事を正しく理解している人はどれ位いるのでしょうか?
世の中には「自分の事を過大評価も過小評価もせずによく分かっている人」がいます。そして、そのような人は「ありたい自分」に向けて「現状の自分」からどうすれば近づいていけるかを試行錯誤しながら、結果として自分を成長させています。今回のテーマは「何故そのようにできるか」という事について考察してみました。
現在とある企業にて1年間継続的に約40名の管理職の成長を支援する取組みをスタートしました。参加者は現在も各組織の中核として活躍をしており、今後さらに活躍を期待されるメンバー。詳しい取組み内容については割愛をさせていただきますが、参加者が自分自身を成長させられるように、その取組みの中で参加者の役職に求められる要素を、自分でセルフチェック(点数化)し、同時に上司が点数をつけ、本人と上司の点数のギャップが浮かび上がる設計をしました。
すると、とある項目において本人としては「全然できていない」と思っているけれど、上司は「もうすでにそこはできているので、別のところに注力してほしい」と思っているケースもあり、逆に、本人は「できている」と思っているが、上司からしてみれば「まだまだ」だと思っている様子が伺えます。
この結果をどのように捉えるのか?
今回のテーマである、自分の事を分かり、自分成長させられる要因は、このような「自己評価と他者評価の差を受け止められるか否か」という点が挙げられると思います。
「受け入れる」ではなく、「受け止める」ことです。
評価する側も人ですから嫌われたくないあまりに甘く評価をしてしまう人もいれば、相手の為を思うがあまりに辛い評価をしてしまうことは別の課題ですので今回は大きく触れませんが、自分の事は意外にも自分自身見えておらず、「周りの方が当人について見えていることが多いこと」、そもそも、自分がどう思っているかというより、組織においては周囲がどう思っているかの方がチームの成果につながることは想像に難くないことです。
私の場合、20代後半から生じた過信が、30台前半に周囲からの評価を受け止める事の阻害要因になっていました。その後大きな挫折を味わい、自信を失った後は逆に自分自身を過小評価してしまう時期もありました。
現在は、良い結果は謙虚に受け止め、思わしくない結果は自分の成長の糧として両方を冷静に受け止められるようになってきましたが、以前は、いちいち感情的に反応をしていました。過信している時は「そんなこと言われても、自分はできている」と、そして自信を失っている時は「自分にはそれは難しい」と。突き詰めるとそれは自己防衛の行動であったのだと思います。
「自分がどう思っているかより、相手にどう伝わっているか」。もちろん様々な方が色々なことを言うので、全てを受け止めてしまったらブレブレになりますが、真摯に自分の事を考えてくれる人の意見を、自分がどうかを一度横に置いて「そう思われている」「そのように感じられている」と受け止めて、そのうえで相手を信じて一歩踏み出してみた人が成長した場面をこれまで何度も見てきました。自分を知ることはなかなか難しいですが、気づかない自分を発見できることもあるかと思います。